ド底辺ブロガーのまつ@matsu_trend です。
若い時って背伸びして自分を良く見せようとしたりしますが、そんな性格が原因で統合失調症になってしまいました。
人によって性格や症状も様々なんでキチンと診断して貰う事をオススメしますが、「こんな考え方もありますよ。」と言う意味合いの記事を書いてみました
最後までよろしくお付き合いください。
統合失調症とは
私の掛かった病は統合失調症(とうごうしっちょうしょう)と言うもので、(トーシツ)や思考伝播(しこうでんぱ)なんて言われ方もしてます。
現在は脳の病気として認知されてますが、私に初めて症状が現れた20数年前は、そんな病名もなく、言わゆる「精神分裂症」と言う括りでした。
脳内で、喜び、怒り、悲しみ、などの感情や、体の内外からの情報を処理したり、コミュニケーションをとったり、考えたりする事が、
通常なら脳内のネットワークが正常に機能してバランス良く統合されてます。
統合失調症はその名の通りその統合する機能が失調するものでバランスか取れなくなり、
そうなる事で、現実と妄想の区別がつかなくなったりします。
症状としては、私の場合は幻聴や被害妄想などが出たりしました。
最近知ったんですが、そうなると陽性症状と言います。
簡単にまとめると、統合失調症の症状には、
陰性症状
- 社会的引きこもり
- 感情鈍麻(感情表現が乏しく、表情も無表情で、人の気持ちに共感したりもなく、物事に関心がない)
- 言語貧困
- 意欲減退
- 注意力、集中力の低下
- 無関心
陽性症状
- 幻聴
- 被害妄想
- 不安定な感情
- 奇異な行動
- 思考の混乱
があり、それにより
作業能力の障害
- 記憶力の減退
- 融通性の低下
- 作業スピードの遅さ
- 了解の悪さ
- 心身の極端な疲れやすさ
が現れます。
今、思うと高校生辺りから陰性症状の全てが現れてたのかも知れません。(コワイ!)
また、陽性症状も幻聴や被害妄想が引き金になって奇異な行動や、思考の混乱も多少あったりしました。
場合によっては妄想や、幻聴のせいで犯罪を起こしたり攻撃的になる事もあり、本当に深刻な病気です。
実際にたまに起きる無差別殺傷事件の犯行動機などを聞くと「トーシツのそれ」だったりもあるんで、複雑な気分になる事もあります。
ちょっとしたボタンの掛け違いなんですよね。。。
幸い私はそこまで行かなかったけど、全く無関係な人に意地悪をされてると思い、その人たちに悪態を着いたりしました。(本当に申し訳ありません)
統合失調症になった原因は?
おそらくですが、元々、九州に住んでいて父親の仕事の関係で中学から東京に引っ越して来たんですが、
中学を出て直ぐに、海外に行くことになります。
そう言った環境の変化や、高校受験の失敗、高校時代も音楽が好きなくらいであらゆる事に無関心で、誇れるものが何もなく、
大学受験も失敗、浪人しても予備校も続かない。それ以前に自分の意思で進学しようとしてないという10代
その後アルバイトをたまにやっても長続きせず、遊ぶお金は親に小遣いをせびったり、友人に奢って貰うと言った事を繰り返してました。
また、生活のリズムも夕方くらいに起きて、朝までゲームやテレビを見る、もしくはたまに友達と遊ぶと言ったもので、夜型生活でした。
睡眠は朝から夕方にとってはいましたが、このリズムが自分とは合わなかったんじゃないかと思います。
こう言った要因に加え、いちばんの原因と思われるのが中学の友達A君との関係性です。
中1の終わりに知り合うんですが、当時住んでた家が連投式と言うテラスハウスタイプで、お隣さん同士
部屋も隣同士、学校も学年も同じという事もあり、知り合って一気に仲良くなり、学校の技術の授業で作ったインターホンで部屋同士を繋ぎ、会話をしてました。
高校も同じ学校で私は中学で既に一浪してるんで学年は1つ下でしたが、相変わらず仲良くしてました。
がとある事が原因で関係が悪化して行きます。
私が高2、彼が高3の時にと誰にも言わない約束で、ある秘密を打ち明けられるんですが、内容的にどうって事なかったんで別の友達に言ってしまいました。
これが良くなかったんですよね。
私にしてみればどうって事ないんですが、本人にしてみれば凄く恥ずかしい事だったようでこの後、関係は少しずつギクシャクしてしまいます。
そんなある日、その秘密を喋った友達と遊んでると、「A君に聞いたんだけど、お前〇〇なんだって!?」と以前A君に固く口止めしてた秘密を言われて
そこから、関係が更に悪化してしまいます。
おそらく向こうにしてみればどうって事ないし、先に私が言ってしまってるんでお返しの意味もあったと思います。
今考えるとつまんない事なんですが、当時はそれが原因で遊ばなくなり、見かけたら軽く挨拶して話す程度になりました。
ひと足先に社会に出た彼はうちの仕事を手伝いながら、彼女も作りたまに見かけると凄く、楽しそうで輝いて見えます。
片や自分はと言うと、何の目標もなくダラダラ過ごしてます。
そんな気にはしてはないつもりだったんですが、心の奥底では比較して自分も追いつきたいと思ってたんだと思います。
その後20代になってもたまにバイトをやりながら遊ぶダラダラ生活、その時もやはりA君と自分を比較していて、必死に彼女を作ろうとしてるんですよね。
一緒に遊ぶ友達は社会に出て自分で稼ぎながら遊んでるから、それなりに知識もあって仕事の話なんかも面白おかしく話したりします。
私は当時は見た目だけを気にしてた中身ペラペラ人間だったんで、女性と話しても盛り上がらない。
お金も友達に借りたりしてたんで、陰でおそらくそんな話もされてたんだと思います。
1次回だけで後は帰る、と言うより周りが来なくて良いよ感を出してるんですよね。
そんなヤツにもなんとか彼女が出来るも、お金がないからデート出来ずに長続きしない。
そんな感じで22、23歳と過ぎていき、A君は相変わらず彼女と仲良くして仕事もやっていて、(もしかしたら結婚してたのかも)
挨拶をする程度ですが、その時の彼の表情が何となく見下してるような気がするんですよね。
今思うと、完全なる被害妄想ですが
だんだん引きこもりがちになり、夜中にゲームをやってると隣から笑い声が聞こえてきます。
これは本当にたまたま聞こえたかも知れませんが、そんな笑い声も自分の事を笑ってる気がします。
日ましに隣の音や話声が気になって、言われてもない悪口が聞こえたりします。
家では母親が毎日、「仕事をしなさい!」「あんたもお隣さんみたいに彼女作んなさい」とか言ってきます。
24歳になる頃には、この症状特有のありえないようなの被害妄想をするようになります。
統合失調症の症状や経過どうやって立ち直ったのか
24歳になる頃には、隣の声や音は勿論、外の酔っ払いの叫び声やバイクの音なんかも、「全てA君の仕組んだものに違いない」と思うようになります。
今、考えるとありえない滑稽な話なんですが、当時は本当にそう思って、彼を嫌いになっていき、最後は怖いと思うようにさえなりました。
母親は相変わらず口うるさくて、渋々アルバイトをする訳ですが、
そこでも、声が気になって仕事に集中できず、職場でも浮いた存在です。
それでも、バイトの先輩はそんな私の様子を気にかけてくれたりしました。
「人の噂なんか気にすんなよ」
と言ってくれたりするんですが、当時はそんな優しい言葉も耳に入りません。
他のテナントの人には事もあろうに悪態をついたり、症状が出るとどうにもなんないんですよね。
そんなんだから、1ヶ月程で辞めてしまい、少し入ったお金で気分転換も兼ねて友達と八丈島に行く事になります。
楽しい出会いを求めて、チャラいヤツと病んだヤツのコンビで「ビーチボーイズになろうぜ!」(当時竹野内豊と反町隆史がW主演で話題のドラマがあった)
と、八丈島に行くんですが出会ったのは病気のせいで、地元のサーファーにボコられると言う災難でした(笑)
そんな事があった後、これまでにない最悪の妄想と幻聴に襲われます。
8月の終わりの夜に部屋で相変わらずボーっとしてたと時に
この頃にはテレビも付けるのも嫌になってて(テレビの中の人物か自分を笑ってる気がする。当時は「笑っていいとも」のタモリさんが私の噂をして笑っていると思ったり。(ないわ~)
そんなテレビも付けない静かな部屋で相変わらず隣の部屋に耳を澄ましていると、
「また家いるよ~」
「あんな格好してわりと地味だね~」
とか聞こえてきます。
家にいたくないからたまたま電話を掛けてきた友達の家に強引に遊びに行くんですが、
友達の部屋で夜中に寝てると上の階から「ダッセェ!」「アイツ寝てるよ」とか聞こえてきます。
勿論、幻聴ですが。
「うるせえ」と小声で呟くと「うるせえだってよ(笑)」と返ってきて、その後、言った言葉も全部真似してくるんで、
「まさか盗聴か!?」恐る恐る呟くと
「盗聴だよ」と返ってきたんで、怖くなって何も喋らないでいると、
「今、座って上見てんだろう」とか「立ち上がった」とか
今度は動作までも細かく言ってきます。
すると今度は
「カメラも付けたから」
と聞こえてきたんで、怖くてベッドに仰向けになって微動だにしないまま天井を見てると、
また声が聞こえてきて、今度は少し考えた事も声になって伝わってきます。
なんで!?
と思うと間髪入れずに
「頭の中覗いてんだよ」
と聞こえてきました。
さすがにシャレになんないと、その時は余りの恐怖ですぐに外に出るといつの間にか朝になってました。
そのまま朝の住宅街をフラフラと歩き始めたのを覚えてます。
歩いてる間も、通り過ぎる家々から笑い声や電話の音が聞こえてずっとくっ着いてきます。
それこそ空から見張られて逐一報告されてるような感覚です。
無我夢中で歩いてるとまた声が聞こえて
「殺すから」
と言われ、その時は「もう殺せよ」とか震えながら言ってたと思います。
すると、
「お前の家族も殺すから」
と聞こえて、心配になった私は家族の誰でも言いんで安否を確認しようと電話をしたのが父親でした。
と言うのも一緒に住んでた母親や姉だと毎日、口うるく説教されてた事もあり、自然と父親を選んでいました。
いきなり別居している息子から「助けてと」電話を受けた父親は、びっくりした声で「どうした!?」と聞くんですが
その時は助けてとしか言えませんでした。
今いる場所を聞かれ、とある駅名を伝えてそこに迎えに来てもらい、タクシーに乗り込んだ時は何となく落ち着いた気がしました。
私の様子を見てまず、当然の如く「何か変な物やってないよな?」と聞かれ「やってない」と答えたのを覚えてます。
その後は、父の会社に言ってそこでの私の様子を見て事情が分かってきたらしく「まだ聞こえるか?」と言ってくれてました。
父は薬学部出身で多少、病気の知識もあったのか冷静に話を聞いてくれて、「歯に発信機が着いてるかも」と言う息子に
気になるんなら虫歯もついでに見てもらえと言ってくれました。
結局なにも見つからず(当たり前ですが)
父親のマンションに帰るんですがそこでもずっと声は聞こえていて、笑ったり、脅してきたりします。
「携帯壊せ」と聞こえてきて外に出て、道路に思いっきり携帯を投げつけてアンテナを折ってボロボロにしたりもしました。
父親が精神安定剤と睡眠薬を渡してくれてその日は夜中まで寝てたと思います。
夜中に目が覚めるとまだ声が聞こえて、声にどんな事を言われるのかを父に全部伝えるように言われました。
気にしてる事が空耳になって聞こえる病気で全部言えば治まるからと言われて、友達やお金の事、言いにくい事など全部包み隠さず話しました。
そんな中で少し滑稽なんですが、声が「田舎に帰ったら許してやる」と言ってきて
それを父に伝えると、そうしてみるかと言ってくれました。
全てを吐き出してスッキリしたのか、その後、安定剤と睡眠薬でハッキリとは覚えてませんが1日半ほど寝てたようです。
目覚めた時には声が治まってて、父が言う通り病気だったんだと思えました。
声の言う通りではないけど、自分の願望なのかもと思いしばらく生まれ故郷の福岡に帰ってみることにしました。
安定剤と睡眠薬は数日飲んでると呂律が回らなくなり、それはさほど気にならないんですが、
顎が外れるくらいに口を開いたり、歯をこれでもかと言うくらい噛み締め口を閉じたりする副作用か出るようになって、
痛いし苦しかったんで薬を飲むのをやめました。
その状態で故郷の福岡に帰りました。
当時は祖母が健在で、昔家族で住んでた家に1人で住んでたんでそこで暫く暮らしました。
はじめは、1ヶ月で帰る予定だったんですが、なぜか帰るのが怖くなってバイトをして自分で稼ぐならと言う約束で、半年程、福岡で暮らしました。
バイトは3ヶ月程で辞めてしまいましたがなんとなくお金は持たせました。
たまに、母親が様子を見に来てくれて今まで口うるさかったのが嘘みたいに優しくなって、
「あんたなりに気にしてたのかもね」と言ってくれ
友達に借りてたお金も返してくれたりしたようです。
この時は、本当に家族は信頼できるんだと思いましたし、ありがたいと思いましたし、これからちゃんと返して行こうと思ったのを覚えてます。
また、たまたま知り合った女性が私を支えてくれ、そのまま絞らく付き合ったりもしました。(現在は別れてしまいましたが)
その後、最初ほど酷くはないけど、また幻聴が聞こえて来たんですが、薬を飲むと副作用が辛いんでやめることにしました。
半年後、不安は残りつつも東京に帰ってきました。
が、帰ったその日に、家の外の話し声や隣の家の人を見て妄想を抱くようになります。
おそらく症状が再発したんだと思います。
病気の原因となったA君が友達を使って家の外で見張ってるとか、隣の家族がA君の親戚でこちらの様子を伺っていると言う妄想で
父に相談して弱めの薬を飲むようにするんですが、症状は治まるものの同じように口に副作用が出てしまいます。
幻聴が消えた事で、症状もそこまで気にならず、何より副作用のほうが辛かったんで、それ以降は一切、薬は飲んでません。
※2020/2/15追記
ひとつ思い出したんですがその時期に1回だけ息が吸えなくなり(過呼吸ですかね)死にそうになった事がありました。
ほんの1~2分の出来事ですが怖かったです。
症状との関係もあるかも知れないんで一応追記しました。
統合失調症その後の経過や症状は?病気に打ち勝つには気にしない
統合失調症の症状には4つの経過期間があり、この事はこの記事を書くために買った書籍から学びました。(後ほど紹介させていただきます)
統合失調症の経過期間
幻聴、幻覚、妄想、興奮などの激しい陽性症状が現れる期間2.消耗期
急性期にエネルギーを使い切り、症状は鎮まったものの元気が出ない状態
3.回復期
ゆっくり体を休める充電期間、少しずつ活動範囲も広がる
4.慢性期
急性期の症状が治まった後にも病的な症状が持続する時期、陰性症状がながく見られるが陽性症状が消えないこともある。
経過期間に急性期のような「再発」が起こることもある。
おそらく私の場合も急性期が治まった後2番、3番の期間は実感がなかったんですが、4番の慢性期は長いこと続いてたと思います。
症状は被害妄想と、これは特殊で何か別の病気なのか(病気じゃないこと祈りますが、)父親が亡くなった後くらいから頭がウネウネ動く事があります。
今も、意識するとウネウネ出来ます。
せんでいいわ!
って突っ込まれそうですが。。
東京に戻ってすぐにアルバイトを始めるんですが、銀座のレストランバーで接客に挑戦しますが、向いてない事がわかりすぐに辞めて、
以前務めていた内装のリペア会社に入る前に別のリペア屋のアルバイトをやります。
そこで可愛い女性と出会うんですが、病気がまたやらかしてしまうんです。
同期で入った彼女は普段は大学生で、当時バンドマンの彼氏と付き合ってました。
仕事をしているうちに仲良くなるんですが、何となく好意を抱いてしまいます。
そこまでは良しとしましょう。(若かった事もあり良しとしてください)
がここからが、病気の悪いところで妄想が始まってしまいます。
その頃はA君だけじゃなく、Aさん一家が所属する暗殺集団が存在してるんですよね(本当にゴメンナサイ)
その彼女に良かったら彼氏のライブに来てくださいと誘われるんですが、暗殺集団の指令を受けてる感覚のイカれた私は、
「彼女はお前を騙してライブに来た瞬間、彼氏とその仲間にお前をぶっ飛ばさせる計画を立ててるぞ」
当時はこれを真剣に受け止める、純粋でイカれた自分(笑)
「ライブの前日に告白すれば助かるぞ!」
と言う訳の分からない司令の言うがまま告白するも、当たり前のように彼女ドン引き。。
その後そこでのバイトも辞めて、以前の職場でもあった、10数年務めたリペア屋に入るんですが、そこでの10数年の間にも、脳内の暗殺集団と付き合う事になります。
その頃は、再び脳内を覗かれてる妄想に襲われるんですが、「覗いてるのはごく一部の職人になりすました暗殺者で、現場の全員は知らないから覗かれても関係ねぇぜ!」と言うよくわかんない自信から、
平気で覗かれながら仕事をするようになってました。
その辺から一気に症状が回復していきます。
そこからも分かるように気にしないのがこの病気にはいちばんの特効薬なのでは?と思うんです。
「オレの生き様を見ろ!」ですね。
勿論、人によって向き不向きがあるんでオススメはしません(笑)
また、「人の事を覗いてる暇人なんか興味ねぇ」も当時よく自分で言い聞かせてました。
その後も、そいつらは付きまとって来て宇宙人になったり、よく分かんない役者さんとか色んな人に姿を変えました。
時々、司令以外にも身体にチクチクっとした痛みなんかも与えて来るんですが、そこまで気になりませんでした。
脳内のそいつらと、時にはバトルしたり、デトックスしたりその時々で対応してましたが、
だんだん、慣れてくるとそんな対応するのもバカバカしいし面倒くさくなってくるんですよね。
そうやって過ごしてるうちにA君の事も気にならなくなり、症状の頻度も減って行きました。
時々来る司令も、何かくだらないから完全にスルー出来るようになり40歳頃にはほとんど症状は出なくなりました。
逆に物事を気にしなくなり過ぎたんで、ここ数年は、物事を色んな角度からみて疑問を持ち、連想する癖をつけてます。
これはあくまで自分なりの考えですが、妄想の酷くなったのが指令で、それが悪化すると幻聴や幻覚になるんじゃないでしょうか。
いずれにせよ、今だから言えるんですが何を言われても気にせず自分を持って生きることが大切だと思います。
あとは、正しい食事や睡眠をとり正しいリズムで生活するのがいちばんです。
医師の適切な診断を受けるのも良いと思います。(当時はどんな診断されるか分からないし、私は1度も受けませんでしたが)
それと、いちばんは、家族や近しい人の支えです。
家族の支えがなければ生きてられなかったと思います。
友人も彼女も症状が出て様子がおかしいのに遊んでくれたり、励ましてくれたりしました。
本当にありがとうございます。
A君やご迷惑をかけた皆さん本当にごめんなさい
因みにA君とは6年程前に以前の家の前でバッタリ出会って、「久しぶり!」と挨拶したら「軽く飲もうぜ」と言ってくれて1度だけ飲みに行きました。
今は実家を出て、家族で別のところに住んでるそうです。(相変わらずしっかりしてる)
以上、統合失調症になった時の経験や経過、自分なりの病気に打ち勝つ為の考えをまとめたんですが、
この病気と出会った事で今こうして自分の考えを持ってブログを書いたり、バイト生活でも自信を持って生きる事が出来るんだと思います。
ならないに越した事はないけど、もし同じような症状で悩んでる人に伝えるとしたら、
病気がきっかけで自分自身が成長したり、家族の絆が強まったり、良い出会いや出来事があったり何かひとつは良い事があるとは思うんで諦めないでください。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
記事を書くために参考にさせてもらった書籍が、漫画家の中村ユキさんの著書で「わが家の母はビョーキです」と言う本です。
母親に症状が出た時の実際の体験を漫画にしたもので、分かりやすくて、漫画としても凄く良い作品でした。
まっつんの映画とエンタメブログ