プロフィール

はじめましてド底辺ブロガーまつ@matsu_trendです。

都内在住の40代男性、音楽好きで趣味はスノーボードやバイク、猫も好き(飼ってはいません)最近はもっぱらブログとTwitter、読書、映画鑑賞が趣味になってます。

当ブログ、「エンタメ日常」に訪れてくださりありがとうございます。

「エンタメと日常」は当初トレンド系の芸能記事メインのブログだったんですが、

Googleのアップデート後、必要とされてるのはこう言うブログじゃないのでは?と思うようになり、現在は、身近な情報や自分の経験、そこから得た学びや気づきなどを書く方向にシフトしています。

ブログのタイトルも、ちょいちょい変わったり悪く言うとブレブレ感はあったりします。

やりたい事も見つかり今後は記事の方向性も少しずつ定まってくると思いますんで、ひとつ永い目で見てやってください。

この先は自己紹介になるんですが、生い立ちでけっこうなボリュームになり内容も不幸な話が多めです。

最後の方に人生で行き詰まった人には少し希望を与えらるようなこと、ブログ、アドセンスに関する自分なりの考えなんかを書いてますんで、興味のある方はその辺だけでも読んでいただけると幸いです。

生い立ち

生まれは福岡県の片田舎で、一応九州男児です。

父親の仕事の関係で家族で上京し、中学の頃から東京に住んでます。

生まれつき大人しい性格なうえ、田舎の小学校から、いきなり東京の中学に入った事で、カルチャーショックを受けコミュ障になりました。(生まれつき幼少期から慣れない人と絡むのは苦手ではありました)

部活はバスケに入るもすぐに辞め帰宅部に、勉強も親が教育熱心な割に嫌いという何の取り柄もない中学生でした。

そんなヤツが受験勉強をする訳がなく、中1の終わりにやっと出来た親友と遊び呆けてました。

両親ともに教育関係(教師ではありませんが)の仕事で、父親は当時、会社のプロジェクトで海外に学校を作ると言った事をやっていて、

事業の取っ掛りとしてインターナショナルスクールに自分たちの子供を通わせて反応を見る的な事をやってて、受けた高校が全落ちの私は恰好の実験材料にされてしまいました。

今となっては勿体ない話ですが、田舎から出てきて東京の生活にやっと慣れてきた頃に、何も分からない海外に行かされるのが、もの凄く辛くて、行ったそばからホームシックになりました。

何とか3ヶ月我慢して夏休みに一時帰国をしたんですが、無理矢理行かされた海外に戻るはずはなく父親をどうにか説得して日本の高校に1学年遅れて入学することになりました。

私の入った高校は自由な雰囲気の校風で指定の制服もなく私服でも好きな制服でもなんでも良いという学校で髪型も自由でした。

当時はバンドブームだったんで私も見るからにロック少年でギターを始めてバンドを組んだりもしました。

そのままバンドにのめり込んで行けば何の問題もなかったんですが、中学の部活同様、長続きしない、バイトもしない、勉強は勿論、スポーツもしない、無気力の塊みたいな高校生活を送りました。

ダラダラと2年間過ごし3年生に上がる時、普通ならそろそろ目標も定まってる頃なんでしょうが、何もしたい事がない。

バンドで生活したいとは思うにも、漠然と考えるだけで実際に行動を起こすでもない私に姉が見兼ねて、

何もなければ大学でバンドでもやりながら考えりゃ良いんじゃない

その一言で、それもそうだと勉強を始める訳ですが、全く自分の意思って物がないんですよね。

当時は本当に無気力で、音楽を聴いたり、テレビを見たり、ギターを弾くくらいしか興味がありませんでした。

勉強もしなかったんでボキャブラリーも少なく友達との会話も弾まなくて、聞き上手でもなく、聞いても上の空だったり何を考えてるかわかんないようなヤツでした。

そんなんだから、受験勉強なんてまともにやってるはずもなく、暗記するのはほんの少しで、ほとんどはテキストを何となく読んでそれで時間が過ぎるのを待ってた気がします。
完全に家族が言うから仕方なくやってるふりをするって状況だったと思います。

そんな状態で受験するんだから、結果は誰がどう考えても明らかですよね。結局、家族会議で話し合った結果、浪人することになるんですが、

勉強をするようになったかと言うと、そんな事はなく中学や高校の友達と遊んだり、マックで時間を潰したり相変わらずサボってばかりでした。

そのうち予備校からの知らせで親バレするんですが、適当にごまかしてました。

でも、そんなごまかしがいつまでも通用するはずもなく再度、家族会議が開かれる訳ですが、さすがに通い続けろとも言われなくなって働く道を選びます。

これまでの経緯で、お分かりだと思いますが、バイトを始めても長続きしませんでした。

音楽が好きで、年齢的にファッションに興味も出てきてどちらかと言えば派手な格好をしてた事もあり、

元々は、地味な仕事が向いてるのに(当時は認めたくなかった)敢えて真逆の、飲食店のホールやカラオケルームのスタッフ、パチンコ屋のスタッフといった接客系の華やかな仕事ばかりを選んでたのも長続きしなかった理由のひとつだと思います。

ひと通り接客系のバイトを経験(と言っても長くて1ヶ月)して、その後は運送屋の仕分けや、工事現場でのガテン系もやったりするんですが、長続きしませんでした。

自分でまともに稼げないけど実家なんで生活は出来る、お金がなくなったら親に小遣いを貰いながら遊ぶと言う悪循環を繰り返しながら、22歳、23歳と過ぎて行き、

周りの友達はそれなりに社会で活躍したり大学生活を謳歌しているのに自分は相変わらずフラフラとして何をしたいのかも見つからない状況、

そのくせ周りから良く見られようと外見や仕草だけは人一倍気にする、薄っぺらな人間になっていました。

24歳で病む

今まで遊んでた友達も社会に出れば当然そこでの人間関係が優先されます。だんだん遊ぶ人もいなくなり24歳の頃には遂に引きこもりがちになりました。

1日の大半を部屋で寝て過ごし、夕方に起きたと思えばコンビニで食料などを買っては、家に戻ってゲームをしたりテレビを見て、明け方にまた寝るという、昼夜逆転の生活を続けていました。

通常、人間は夜になると睡眠を摂るように出来てますが、中には夜型の人もいたりします。

20代の前半くらいの頃は自分は夜型だと思ってそんな生活を暫くは続けてました。

自分では平気だと思っても身体や脳は違っていたようで少しずつサインを発していたと思います。

そのうえ、小学生時代からずっと母親に勉強しろと言われ、それが社会に出てからは、また家にいるの!」「仕事しなさいと毎日のように言われて最後の方は生返事だけする状態だったんですが、

そう言った事もストレスになってたのかも知れません。

また、当時は気づかなかったんですが、心の片隅ではそんな生活をしてる事に罪悪感を感じてたんだと思います。

そう言った様々な要因が重なり、24歳の夏にそれは一気に爆発するように、恐ろしい症状となって表れてしまいます。

今で言う統合失調症(とうごうしっちょうしょう)や思考伝播(しこうでんぱ)と言う症状で、当時はまだそういう名称もなかったと思いますが、症状はまさにそれで、今考えると病気だと冷静に判断もつくんですが、

この時はただただ怖くて、死んでしまうと言うか殺されるような妄想を抱いてました。

当時、父の女性問題で両親が別居していて一緒に住んでた母親にはいつも文句を言われるんで、あまり会話もしてませんでした。

その時も気づくとなぜか父親に電話をしていました。

父親や家族、当時出会った彼女や友達の支えでなんとか立ち直り半年程で社会復帰をする事が出来ました。

統合失調症(トーシツ)になった時の経験や打ち勝つ為の考え方をまとめた
ド底辺ブロガーのまつ@matsu_trend です。現在、ただの貧乏アルバイトオヤジですが、20代の若かりし頃はクラブで毎晩パーティーやってましたー!と言うのは嘘で、見た目はクラブにいそうなチャラいヤツですが、たまにナンパしたりはし...

立ち直ったあと、警備員のアルバイトを3ヶ月ほど続けることができ、自信が着いて(当時は3ヶ月でも長続きした方)その後は内装屋で仕事をするようになります。

職場の雰囲気も良く、同期の仲間も年齢が近く趣味も合ったんで順調に継続することができ、1年もしないうちに自分で稼いだお金で車の免許を取る事もできました。

また、給料の一部を家に入れたり、年金や国保も納めるようになりました。

両親を亡くす

仕事が上手くいき始め別居していた両親も不思議と仲直りして、仕事も楽しくて全てが上手く転がり始めた矢先、父親が白血病になります。

発見もそこまで遅くはなく、家族もそこまで深刻に考えてなかったんですが、治療を初めて間もなく合併症を併発して呆気なくこの世を去ってしまいます。

病室で横たわっている父親の傍で、死を受け入れられないのか分かりませんが母も姉も私も、悲しいという感情より、力が抜けたような疲れきったような状態だったと思います。

勿論、暫くしてお通夜なんかになってくると悲しみも湧いてくるんですが。

そんな事もあって私はこれまでとは別人のように一家の大黒柱的な役割を担うことになります。

その後は1年くらいは何事もなく順調に過ぎて行きました。

が、運命は残酷にも更なる試練を私や家族に与えてきました。

嘘みたいですが、今度は母親が難病にかかってしまいます。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)というもので、運動神経が麻痺して全身の筋肉が動かなくなり、食べ物の咀嚼や、呼吸も困難になるというものです。

そんな状態でも意識は正常なんで当事者にしてみれば地獄の苦しみです。

最近は良くテレビなどでも取り上げられる病気ですが、治療法はまだ確率されてないのではないでしょうか。

主婦としてだけでなく、家を開けがちで別居したりもした父親の代わりとしても一家を支えてきた母親が、日増しに動けなくなるのはとても見てられなくて

仕事も当時は朝から夜中の23時過ぎまでやっていたこともあり、介護はヘルパーさんや姉に任せっきりでした。

また、姉やヘルパーさんの方が頼りになるのか母もあまり私には声をかけませんでした。(気を使ってくれてたかも)

今、考えるともっとやってあげるんだったと思います。

亡くなる2ヶ月くらい前から施設に入院したんですが、入院前日に自宅で過ごした最後の夜、口のきけない母が文字版ごしに伝えてきた言葉は「好きなように生きなさい」でした。

「ああしろ!こうしろ!」と毎日うるさかった頃の母の姿が浮かんできて泣きそうになり、「ありがとう」とだけ言うのがやっとで部屋まで我慢したのを覚えてます。

入院してから、2ヶ月程たった時ちょうど母の日だったんですが、その日、姉と病室を訪ね、母にそろそろ喉に呼吸器を付けると言った話をしたのを覚えてます。

そうなるくらいならと最初は嫌がってましたが、最後は渋々納得していました。

それが母親の最後の姿です。

母の日から1週間後、喉に管を通して苦しみながら生きるより、楽になる事を選ぶように母はこの世を去りました。

死に目に会えなかったのは心残りですが、今思うとその方が良かった気がします。

私の人生で、統合失調症と父親の死は勿論ですが、母親が病気になってから亡くなる迄の1~2年がいちばん辛かったです。

雇われる事に限界を感じる

両親が亡くなった後はひたすら仕事に没頭してました。

拘束時間は朝の6時頃~23時頃、完全ブラックですが、人間関係は良好なんでそこで14年程務めました。

職種としては家具や床、扉などの木製品やアルミサッシ、金属のドアと言った金属などのちょっとした傷を治すリペア屋という仕事で、建築界では隙間産業的なやつです。

力もさほど使わず小手先でやれるし修行期間も、研修を少しすれば良いというものでした。

単価も良く始めた当初はけっこうな額いただいてました。

手先が器用で、家具の木目を書いたりする事がメインなんでバイトの美大生や女性もいたりする特殊な仕事でした。

現場では「絵描きさん」とか「芸術家」なんて冷やかされる事もしばしば、職種的にはおいしいんですが、どんな業界でも徐々にライバルが増えて値下げ競走になってきます。

所属していた会社も値下げをしたり、他との差をつける為、地方への出張なども頻繁に行くようになりました。

酷い時は仙台に行って、翌日、静岡なんて事もあり、長距離のドライバーさんにしてみれば普通なんでしょうが、当時はそんな移動をして現場作業をした後に、会社に戻って事務仕事や翌日の手配なんかもやったりしてました。

それだけ頑張って、通常は45万くらい、繁忙期に休日返上で働いてやっと50~60万です。勿論、ありがたいしそれだけ貰えてる訳ですが、どれだけ頑張っても60万の壁は越えれません。

そう考えるとだんだん辛くなり「お金はそれなりに貰えるけど何か違う」と思うようになりました。

そこで、勤務をして12年ほど経った時に会社での事務作業をやめて、給料が下がってもいいから現場から直帰させて欲しいと相談して、仕事の後の自由な時間を持つことにしました。
直帰するようになって2年程過ぎた時に、楽になったのになぜかスッキリしない自分がいるのに気が付きます。

おそらく、自分のやりたい事が定まってなかった事も原因だとは思いますが、

この会社ではどう頑張ろうと50~60万が限界(勿論、凄くありがたいことですが)

また、「好きなように生きなさい」と言う母親の言葉も頭をよぎり、そんな事を考えてる時にたまたま、持ち家が老朽化してる事に気付きます。

修理費もそれなりにかかるという事で、思いきって売却し、そのお金で会社を創ることにしました。

独立して会社を始めるも倒産

開業に向けまず、40万程払ってハウスクリーニングやクロス張り、ちょっとした大工工事などを教わり、不動産屋に営業回りをしました。

200件程回って、5社程のお客さんができました。

現場も少しづつ回り始め、これまで稼いだ額と違い、1現場で以前の半月分くらい稼げるようになります。

ここで冷静に考えれば分かるんですが、収入だけじゃなく経費もそれなりに出てるんですよね。

が、1現場でそんな額を稼ぐ事に慣れてないんで儲かってるような錯覚に陥り、バイトを雇いWebサイトを作ります。

最初のうちは家を売ったお金も残ってるんでWebさえ出しとけばどうにかなるというなんともアホな考えのまま、支出の事なども考えず、稼げば返せる精神でバイクや車を購入してしまいます。

仕事はと言うと現場がコンスタントに入らなくなり経営が悪化、借金をしてごまかし黙かし3年程、経営するんですが車を維持することすらままならず遂には廃業することになります。

その後は、アルバイトをしながら借金の返済をしていくんですが困難になり、家賃の滞納もたび重なり遂には退去する羽目になります。

東京で住む所がない人やネカフェ暮らしを脱却したい人
現在、日本にはパート主婦を除く非正規労働者で年収186万円以下の層が930万人ほどいると言われています。住む家がなくネットカフェなどを泊まり歩くいわゆる「 ネカフェ難民」もこの層に多いと言われてます。私もつい最近、家賃が払えなくなり...

そして、遂に先日自己破産を経験します。

自己破産すると自由になるけどデメリットも!?手続きの方法や注意点もまとめてみた
自分が悪いと思いつつも借金の催促の電話や、ハガキって凄く不安だし嫌な気分になります。中にはそれが原因で病んでしまう人もいたりしますよね。私は現在、自己破産申し立て中で同じような事で悩んでいる人の参考になればと、今回の経験をまとめるこ...

引き寄せの法則と出会いブログを始める

いきなりの「引き寄せ」というタイトルで戸惑ってしまうかもですが、今やってるブログを始めたきっかけでもあります。

破産から少し遡って会社を始めて2年くらい経った年末のある日、その頃は現場も少なく借金や車、バイクのローンの返済も滞って、催促の電話にビクビクしながら仕事をしていました。

リフォーム中のアパートの部屋で1人、休憩しながらスマホで、本気じゃないとは言えなんとなく「自殺、名所」「東尋坊」とか言ったマイナスなキーワードで検索している時にふと、ある方の記事が目に留まります。

うろ覚えですが、借金苦で死ぬ前に最後に海外に行こうと思い立ち、行った国(イスラエルとかだったと思います。)で素敵な体験をしたと言った内容だったと思います。

言霊の事も書かれてたと思いますがありがとう」の持つパワーとか「感謝して生きる」ことを学んだと言った内容でした。

その方はそこでの経験があったから日本に戻っても死ぬことはやめて、感謝しながら生きる事で何となく楽しくなってきたみたいな事を書かれてたと思います。

今はその記事見当たりませんが、確かそんな内容で、願いが叶う的な事も書いてあったようにも思います。

で、その日から「ありがとう」を唱えまくって過ごしました。1日に100回くらい言ってたと思います。

が、運転しながら「下手くそが割り込んでくれてありがとう!」とか「面倒くせー仕事ありがとう!」とか悪口や愚痴の語尾にありがとうを付けると言う間違ったやり方だったんで、効果はなかったんじゃないでしょうか。

でも、何となく楽しくて暫くは続けてたと思います。

数ヶ月後「ありがとう」をすっかり忘れてたんですが、

たまたまネットで「ジョン・レノン」や「イルミナティ」の事を調べてて、音の周波数で「ソルフェジオ周波数」というものがあり

癒しの効果や周波数によって健康やお金、恋愛などいろんな効果が期待できる的な事も書いてあったんで、YouTubeで、そう言った周波数の掛け流し的なチャンネルを見まくってました。

そんな時にたまたま、引き寄せで大成功して好きなことをやりながら世界中を旅して暮らしているある方のチャンネルに出会い、無料のメルマガに登録します。

この手のチャンネルにも色々あって悪質な物も中にはあるんじゃないでしょうか。

その辺の勘みたいなのは鋭いんで良さそうな方を3名ほど登録させていただいて、

その中の1人の方の引き寄せの教材を価格も手頃なんで購入しました。
そこから意識がガラッと変わって来ます。

また、その方は元々せどりなどのネットビジネスをやられてて、アフィリエイトの外注方法なんかも紹介されてました。
そこからブログやアフィリエイトと言ったネットビジネスの世界を知ることになるんですが、しばらくは行動できず、

どんな教材があるのか、どれが自分に合ってるのか全く分からずネットで調べる日々が続きます。

幸い、お金もないんでノウハウコレクターになったり下手な教材に手を出す事はなかったんですが、中々行動に移せなかったのは覚えてます。

そんな頃、会社も遂に廃業する事になり、さすがに何かしら行動を起こさなければと、

ブログの方向性は決まってなかったんですが、教材を買う為バイトを始めます(某大手ホテルの下請けのリネン屋でパワハラが酷かった。そのホテル自体、スタッフさんなどは普通でした。記事にしたいけどホテル側にブログ等へ投稿するのを禁止されてるんでやめておきます。)

バイトを初めて2ヶ月程経ったある日、電車の中吊りで副業紹介アプリと言うのを見て、スマホでそれをダウンロードしようとした時に、たまたまある方のアフィリエイトの無料教材アプリに出会います。
そのアプリでトレンドアフィリエイトや、ワードプレス、アドセンスの事、ブログを立ち上げ記事を投稿するまでのノウハウを学び、ブログをスタートさせました。
記事を投稿しながら分からない事はネットで検索すると、意外と無料で情報シェアしてくれてる方がいるんですよね。

ネットでいろんな方の知識を学ばせて貰いながらアドセンス合格、

今、あるコミュニティでブログの稼ぎ方を学んでるんですが、コミュニティを運営されてる方も、文字の装飾についてネットで検索していてたまたま出会った方です。

まだまだブログだけで生活は出来てませんが、現在は、以前のホテルの仕事を辞めてオフホワイトな社風の紙屋さんでバイトをしながら、合間でブログや掛け持ちバイトと言ったスタイルです。

今後の展望やアドセンスの現状

ブログを始めてから紆余曲折(サイトのアドレスをいじって失敗してブログが消えて真っ白になり、再度ブログを立ち上げる等)を経て1年半経ちますが、

アドセンスの状況はと言うと2019年3月のGoogleアップデート前は芸能ブログでも、2ヶ月で8000円~1万円を稼げるくらいになってきて「これから行ったるぜぇ!」「借金返すぞぉ!」みたいになってました。

同じブログコミュニティで学んでいる生徒さんが1つの記事で1日8万円を稼ぎ出すと言った事もありました。

3月は影響なかったんですが、その後の6月のアプデで一気にPV数ガタ落ちし、その後の数回のアップデートで月に1000円レベル(それでもありがたい)に落ち、

現在2019年11月末の時点では遂に300円を切りました。

今後ますます、アドセンスのみでの収益は厳しくなりそうです。

勿論、単価の高い広告を意識した記事など、やり方によってはまだ稼げるのかも知れませんが、私みたいな芸能記事は厳しくなるでしょうね。

今後は、アフィリエイトありきのアドセンスで稼ごうと思います。

また、SEO的には検索エンジンからだけじゃなく、SNSからの流入にも力を入れようと、今年の6月からTwitterを始めたんですが、

心の悩みや言霊、メンタリズム、心理学などのアカウントがけっこうあったりして、悩みを解決するようなアカウントなど、自分と似たタイプの人が意外と多いんですよね。

元々、引き寄せ、言霊、波動、宇宙などが好きだったんですが、Twitterでメンタリズム、心理、スピリチュアルな事なんかにも興味が出てきて、「更に深めたい!本気で学びたい!」と思うようになりました。

もちろんそれにはお金が必要になってくるんですが、今はその為のお金をブログで稼ぐことが取り敢えずの目標です。

それが叶った後もブログや、そこまでに得た知識で更なる高みを目指すつもりです。

大人しく引っ込み思案な幼少期、無気力な10代、ダメダメな20代、不幸ばかりの30代、現在、貧乏な40代ですが、

このまま貧乏なバイト人生で終わるつもりはありません。
ダメな人生でもそこから得たものだって沢山あります。

これからは、そんな知識や考え方なんかを発信しながら、田舎で暮らしていた頃のような純粋な気持ちで生きて行こうと思います。

もし、人生で行き詰まったり、自分を見失ったとしても生きてればなんとかなるものです。
1度きりの人生、楽しんでいきましょう!

という訳で、ド底辺ブロガーまつの自己紹介をさせていただきました。

最後まで読んでくださった方ありがとうございます。

映画の感想などをまとめた「まっつんの映画とエンタメブログ」もやってるんでそちらもよろしくお願いします。

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