はじめましてド底辺ブロガーまつ@matsu_trendです。
都内在住の40代男性、音楽好きで趣味はスノーボードやバイク、猫も好き(飼ってはいません)最近はもっぱらブログとTwitter、読書、映画鑑賞が趣味になってます。
当ブログ、「まつブロ」に訪れてくださりありがとうございます。
引き寄せをメインに身近な情報や自分の経験、そこから得た学びや気づきなどを発信しています。
自己紹介になるんですが不幸な話が多めです。
最後の方に人生で行き詰まった人には少し希望を与えらるようなこと、ブログ、アドセンスに関する自分なりの考えなんかを書いてますんで、興味のある方はその辺だけでも読んでいただけると幸いです。
生い立ち
中学は帰宅部で中学浪人を経て、高校に入るもバイトもせずにダラダラとした学生時代を過ごす。
卒業後、大学進学を目指し浪人をするも予備校が続かずそこからニート生活を送る。
たまにバイトをしたり、親に小遣いをせびりながら友達と遊ぶ堕落した生活を24歳まで続けた結果、
引きこもりがちになり遂に精神的に追い込まれてしまいます。
24歳で病む
一緒に遊んでた友達も社会に出れば当然そこでの人間関係が優先されます。だんだん遊ぶ人もいなくなり24歳の頃には遂に引きこもりがちになりました。
1日の大半を部屋で寝て過ごし、夕方に起きたと思えばコンビニで食料などを買っては、家に戻ってゲームをしたりテレビを見て、明け方にまた寝るという、昼夜逆転の生活を続けていました。
小学生時代から口うるさかった母親には当然の如く「また家にいるの!」「仕事しなさい」と毎日のように言われて最初のうちは口論になってたのも最後の方はそれも面倒になるくらい無気力でした。
当時は気づかなかったんですが、心の片隅ではそんな生活に罪悪感を感じてたんだと思います。
諸々の要因が重なり、遂には今で言う統合失調症(とうごうしっちょうしょう)や思考伝播(しこうでんぱ)と言う状態になってしまいます。
この症状は一歩間違うと人に危害を加えたりする可能性もある危険な病気ですが、父親や家族の支えで道を踏み外す事はなく何とか立ち直る事ができました。
立ち直ったあと、警備員のアルバイトを3ヶ月ほど続けることができ、自信が着いて(当時は3ヶ月でも長続きした方)その後は内装屋で仕事をするようになります。
両親を亡くす
定職に就いて別居していた両親も不思議と仲直りして、仕事も楽しくて全てが上手く転がり始めた矢先、父親が白血病に倒れ
早期発見で、家族もそこまで深刻に考えてなかったんですが、治療を初めてすぐに合併症を併発して呆気なくこの世を去ってしまいます。
ドラマのような悲しい一幕もないまま本当に呆気なく。。
そんな事もあって私はこれまでとは別人のように一家の大黒柱的な役割を担うことになります。
その後は1年くらいは何事もなく順調に過ぎて行きました。
が、運命は更なる試練を私や姉に与えてきました。
嘘みたいですが、今度は母親が難病にかかってしまいます。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)というもので、運動神経が麻痺して全身の筋肉が動かなくなり、食べ物の咀嚼や、呼吸も困難になるというものです。
そんな状態でも意識は正常なんで当事者にしてみれば地獄の苦しみです。
最近は良くテレビなどでも取り上げられる病気ですが、治療法はまだ確率されてないのではないでしょうか。
主婦としてだけでなく、家を開けがちで別居したりもした父親の代わりとしても一家を支えてきた母親が、日増しに動けなくなるのはとても見てられなくて
仕事も当時は朝から夜中の23時過ぎまでやっていたこともあり、介護はヘルパーさんや姉に任せっきりでした。
また、姉やヘルパーさんの方が頼りになるのか母もあまり私には声をかけませんでした。(気を使ってくれてたかも)
今、考えるともっとやってあげるんだったと思います。
亡くなる2ヶ月くらい前から施設に入院したんですが、入院前日に自宅で過ごした最後の夜、口のきけない母がアクリルの文字版ごしに伝えてきた言葉は「好きなように生きなさい」でした。
「ああしろ!こうしろ!」と毎日うるさかった頃の母の姿が浮かんできて泣きそうになり、「ありがとう」とだけ言うのがやっとで部屋まで我慢したのを覚えてます。
入院してから、2ヶ月程たった時ちょうど母の日だったんですが、その日、姉と病室を訪ね、母にそろそろ喉に呼吸器を付けると言った話をしたのを覚えてます。
そうなるくらいならと最初は嫌がってましたが、最後は渋々納得していました。
それが母親の最後の姿です。
母の日から1週間後、喉に管を通して苦しみながら生きるより、楽になる事を選ぶように母はこの世を去りました。
死に目に会えなかったのは心残りですが、今思うとその方が良かった気がします。
私の人生で、統合失調症と父親の死は勿論ですが、母親が病気になってから亡くなる迄の1~2年がいちばん辛かったです。
雇われる事に限界を感じる
両親が亡くなった後はひたすら仕事に没頭してました。
拘束時間は朝の6時頃~23時頃迄、完全ブラックですが、人間関係は良好なんでそこで14年程務めました。
職種としては家具や床、扉などの木製品やアルミサッシ、金属のドアと言った金属などのちょっとした傷を治すリペア屋という仕事で、建築界では隙間産業的なやつです。
力もさほど使わず小手先でやれるし修行期間も、研修を少しすれば良いというものでした。
単価も良く始めた当初はけっこうな額いただいてました。
手先が器用で、家具の木目を書いたりする事がメインなんでバイトの美大生や女性もいたりする特殊な仕事でした。
現場では「絵描きさん」とか「芸術家」なんて冷やかされる事もしばしば、職種的にはおいしいんですが、どんな業界でも徐々にライバルが増えて値下げ競走になってきます。
所属していた会社も値下げをしたり、他との差をつける為、地方への出張なども頻繁に行くようになりました。
酷い時は仙台に行って、翌日、静岡なんて事もあり、長距離のドライバーさんにしてみれば普通なんでしょうが、当時はそんな移動をして現場作業をした後に、会社に戻って事務仕事や翌日の手配なんかもやったりしてました。
それだけ頑張って、通常は45万くらい、繁忙期に休日返上で働いてやっと50~60万です。勿論、ありがたいしそれだけ貰えてる訳ですが、どれだけ頑張っても60万の壁は越えれません。
そう考えるとだんだん辛くなり「お金はそれなりに貰えるけど何か違う」と思うようになりました。
わがままを言って時間に融通を効かせてもらい直帰するようにして、自由な時間を増やしても何故かスッキリしない自分がいます。
おそらく、自分のやりたい事が定まってなかった事も原因だとは思いますが、
この会社ではどう頑張ろうと50~60万が限界(勿論、凄くありがたいことですが)
この先続けて行って50歳、60歳になった時の事を想像すると凄く不安な気持ちになりました。
また、「好きなように生きなさい」と言う母親の言葉も頭をよぎり、そんな事を考えてる時にたまたま、持ち家が老朽化してる事に気付きます。
修理費もそれなりにかかるという事で、思いきって売却し、そのお金で会社を創ることにしました。
独立して会社を始めるも倒産
開業に向けまず、40万程払ってハウスクリーニングやクロス張り、ちょっとした大工工事などを教わり、不動産屋に営業回りをしました。
200件程回って、5社程のお客さんができました。
現場も少しづつ回り始め、これまで稼いだ額と違い、1現場で以前の半月分くらい稼げるようになります。
ここで冷静に考えれば分かるんですが、収入だけじゃなく経費もそれなりに出てるんですよね。
が、1現場でそんな額を稼ぐ事に慣れてないんで儲かってるような錯覚に陥り、バイトを雇いWebサイトを作ります。
最初のうちは家を売ったお金も残ってるんでWebさえ出しとけばどうにかなるというなんともアホな考えのまま、支出の事なども考えず、稼げば返せる精神でバイクや車を購入してしまいます。
仕事はと言うと経営が悪化、借金をしてごまかし黙かし3年程、継続するんですが車を維持することすらままならず遂には廃業して
その後は、アルバイトをしながら借金の返済をしていくんですが困難になり、家賃の滞納もたび重なり遂には退去する羽目になります。
そして、遂に先日自己破産を経験します。
引き寄せの法則と出会いブログを始める
いきなりの「引き寄せ」というタイトルで戸惑ってしまうかもですが、今やってるブログを始めたきっかけでもあります。
破産から少し遡って会社を始めて2年くらい経った年末のある日、その頃はもう現場も少なく借金や車、バイクのローンの返済も滞って、催促の電話にビクビクしながら仕事をしていました。
リフォーム中のアパートの部屋で1人、休憩しながらスマホで、本気じゃないとは言えなんとなく「自殺、名所」「東尋坊」とか言ったマイナスなキーワードで検索している時にふと、ある方の記事が目に留まります。
うろ覚えですが、借金苦で死ぬ前に最後に海外に行こうと思い立ち、行った国(イスラエルとかだったと思います。)で素敵な体験をしたと言った内容だったと思います。
言霊の事も書かれてたと思いますが「ありがとう」の持つパワーとか「感謝して生きる」ことを学んだと言った内容でした。
その方はそこでの経験があったから日本に戻っても死ぬことはやめて、感謝しながら生きる事で何となく楽しくなってきたみたいな事を書かれてたと思います。
今はその記事見当たりませんが、確かそんな内容で、願いが叶う的な事も書いてあったようにも思います。
で、その日から「ありがとう」を唱えまくって過ごしました。1日に100回くらい言ってたと思いますが、そのうちすっかり忘れて
たまたまネットで「ジョン・レノン」や「イルミナティ」の事を調べてて、音の周波数で「ソルフェジオ周波数」というものがあり
癒しの効果や周波数によって健康やお金、恋愛などいろんな効果が期待できる的な事も書いてあったんで、YouTubeで、そう言った周波数の掛け流し的なチャンネルを見まくってました。
そんな時にたまたま、引き寄せで大成功して好きなことをやりながら世界中を旅して暮らしている(ありがちですが)ある方のチャンネルに出会い無料のメルマガに登録します。
この手のチャンネルにも色々あって悪質な物も中にはあるんじゃないでしょうか。
その辺の勘みたいなのは鋭いんで良さそうな方を3名ほど登録させていただいて、
その中の1人の方の引き寄せの教材を価格も手頃なんで購入しました。
そこから意識がガラッと変わって来ます。
また、その方は元々せどりなどのネットビジネスをやられてて、アフィリエイトの外注方法なんかも紹介されてました。
そこからブログやアフィリエイトと言ったネットビジネスの世界を知ることになるんですが、しばらくは行動できず、
どんな教材があるのか、どれが自分に合ってるのか全く分からずネットで調べる日々が続きます。
幸い、お金もないんでノウハウコレクターになったり下手な教材に手を出す事はなかったんですが、中々行動に移せなかったのは覚えてます。
そんな頃、会社も遂に廃業する事になり、さすがに何かしら行動を起こさなければと、
ブログの方向性は決まってなかったんですが、教材を買う為バイトを始めます(某大手ホテルの下請けのリネン屋でパワハラが酷かった。そのホテル自体、スタッフさんなどは普通でした。記事にしたいけどホテル側にブログ等へ投稿するのを禁止されてるんでやめておきます。)
が、これも引き寄せだと思いますが、ふとしたきっかけで無料のアフィリエイト教材アプリと出会います。
それを見ながらワードプレスブログを立ち上げて、そのアプリでわからない事はネットで検索すると、意外と無料で情報シェアしてくれてる方がいるんですよね。
そんな感じでネット上の知識を学ばせて貰いながらアドセンス合格、
今は、とあるコミュニティでブログの稼ぎ方を学んでるんですが、コミュニティを運営されてる方も、文字の装飾についてネットで検索していてたまたま出会った方です。
まだまだブログだけで生活は出来てませんが、現在は、以前のホテルの仕事を辞めてオフホワイトな社風の紙屋さんでバイトをしながら、合間でブログや掛け持ちバイトと言ったスタイルです。
今後の展望やアドセンスの現状
ブログを始めてから紆余曲折(サイトのアドレスをいじって失敗してブログが消えて真っ白になり、再度ブログを立ち上げる等)を経て1年半経ちますが、
アドセンスの状況はと言うと2019年3月のGoogleアップデート前は芸能ブログでも、2ヶ月で8000円~1万円を稼げるくらいになってきて「これから行ったるぜぇ!」「借金返すぞぉ!」みたいになってました。
同じブログコミュニティで学んでいる生徒さんが1つの記事で1日8万円を稼ぎ出すと言った事もありました。
3月は影響なかったんですが、その後の6月のアプデで一気にPV数ガタ落ちし、その後の数回のアップデートで月に1000円レベル(それでもありがたい)に落ち、
現在2019年11月末の時点では遂に300円を切りました。
今後ますます、アドセンスのみでの収益は厳しくなりそうです。
勿論、単価の高い広告を意識した記事など、やり方によってはまだ稼げるのかも知れませんが、私みたいな芸能記事は厳しくなるでしょうね。
(芸能記事はアクセスのある記事のみまっつんの映画とエンタメブログに引越しさせて貰いました。)
今後は、アフィリエイトありきのアドセンスで稼ごうと思います。
また、検索エンジンからだけじゃなく、SNSからの流入にも力を入れようと、今年の6月からTwitterを始めたんですが、
心の悩みや言霊、メンタリズム、心理学などのアカウントがけっこうあったりして、悩みを解決するようなアカウントなど、自分と似たタイプの人が意外と多いんですよね。
元々、引き寄せ、言霊、波動、宇宙などが好きだったんですが、Twitterでメンタリズム、心理、などにも興味が出てきて、「更に深めたい!本気で学びたい!」と思うようになりました。
もちろんそれにはお金が必要になってくるんですが、今はその為のお金をブログで稼ぐことが取り敢えずの目標です。
それが叶った後もブログや、そこまでに得た知識で更なる高みを目指すつもりです。
大人しく引っ込み思案な幼少期、無気力な10代、ダメダメな20代、不幸ばかりの30代、現在、貧乏な40代ですが、
このまま貧乏なバイト人生で終わるつもりはありません。
ダメな人生でもそこから得たものだって沢山あります。
これからは、そんな知識や考え方なんかを発信しながら、田舎で暮らしていた頃のような純粋な気持ちで生きて行こうと思います。
もし、人生で行き詰まったり、自分を見失ったとしても生きてればなんとかなるものです。
1度きりの人生、楽しんでいきましょう!
という訳で、ド底辺ブロガーまつの自己紹介をさせていただきました。
最後まで読んでくださった方ありがとうございます。